関東大震災100周年 ―そこから何を学ぶべきか― 補遺(その1)

         大阪唯物論研究会会員 岩 本  勲

 標題の拙稿を脱稿して後、関東大震災に関する多くの文献・資料が新しく発行され、加えて映画「福田村事件」が上映された。これらのすべてに言及することは、筆者の能力を遥かに超すことなので、少なくとも筆者が接した新たな文献・資料の紹介に留めざるを得ない。

(1)映画「福田村事件」(監督:森達也)

 この事件は、関東大震災における朝鮮人虐殺事件に特に関心のある人々などごく少数の人々にしか知られていなかった。しかし、本文で紹介した辻野弥生著『福田村事件』の再版発行や映画の製作が伝えられ、「朝日新聞」、「毎日新聞」、「日本経済新聞」等も好意的な映画紹介を掲載したことなども手伝って、この事件の存在が初めて世に広く知られることになった。筆者は映画の開演初日(9月1日)、開演30分前にマイナーな名画を専門とする大阪の小劇場に到着したが、既に多くの人達が詰めかけており、筆者を含めてかなりの人達が立ち見の状況であった。

 記者会見で、「政府として朝鮮人虐殺をどう受け止め、どのように反省しているのか」と訊かれて、「お尋ねについては、政府として調査した限り、政府内において事実関係を把握することのできる記録が見当たらない」と答弁した松野博一官房長官のような、事実を未だに頑強に認めようとしない人たちもいるが、「関東大震災」百年を迎えて、そこで起こった朝鮮人や中国人、そして「危険思想」の持ち主を対象とした虐殺事件を取り上げた様々な催しが行われている。また関連する出版も相次いでいる。そこでは、危機的状況下での「群衆心理」の危うさが語られ、日ごろは心の奥底に沈んでいる民族差別を始めとする様々な差別心が、危機的状況下で突如噴出して恐ろしい虐殺事件を生み出すこと、そして「新しい戦前」という言葉に象徴される今日、あの忌まわしい虐殺事件と同様のことが再び生じかねないという警鐘が乱打されている。

 確かに、民衆の心深くに刷り込まれた「差別意識」が、危機的状況下で凶行に至る危険性を指摘し、人権意識を研ぎ澄ます必要性、ネット社会で一層強まっているフェイク・ニュース拡散の危険性への対処を訴えることは重要である。しかし関東大震災が発生した初期に、「不逞鮮人や左翼危険分子たちが、この機に乗じて暴動・騒乱を引き起しつつある。自警団を結成して速やかに対処せよ」とのフェイク・ニュースを流布し、自らが率先して虐殺の実行犯となった憲兵隊や警察や軍部隊の果たした役割に光を当てたものは極めて少ない。ここには、「関東大震災」における虐殺事件を、もっぱら民衆の「無知」と差別意識に起因するものとし、国家の果たした役割に言及することを避ける傾向を見て取ることができる。また大手マスメディアにおいて特に顕著であるのだが、あの虐殺事件が日本の朝鮮植民地支配と密接不可分であったことも、言及されることが少ない。

 事件が「朝鮮の植民地支配及び大陸進出」と密接に結びついていること、また国家権力が虐殺事件で重大な役割を果たしたことを描こうとした点で、映画「福田村事件」は秀逸である。

 映画は、シベリア出兵で戦死した兵士の「骨箱」を抱えた喪服の女性と、朝鮮から引上げてきた夫婦の出会いから始まる。引上げ夫婦の夫は、朝鮮独立運動を弾圧する総督府の蛮行の数々に接して重大な衝撃を受けて故郷の村に帰ってきたのである。この冒頭の出会いは、当時の日本帝国主義による大陸進出・ソ連侵略と朝鮮植民地支配の状況を示唆している。

 またこの映画では、最初から最後まで軍服姿の在郷軍人会が「活躍」して重要な役割を演じる。このことによって虐殺事件が、単なる「無知」で差別意識を刷り込まれた民衆の犯行ではなく、国家の骨格をなしていた軍隊の末端機関が、国家意思を受けて犯した犯罪であったことを表現している。これもまたこの映画の優れた側面である。

 このような状況の中で、被差別部落出身者からなる薬行商人一行の状況が描写される。彼らは薄汚い「商人宿」に泊まり、粗末なドンブリ飯を食べるような生活であった。行商の道すがら、新助(一行の親方)は「エタは死んでもエタじゃ」と述べ、別の人物をして「必ず平等な世の中はくる」と言わしめる。新助は殺される直前に、「朝鮮人やったら殺してもええんか」と叫ぶ。他方で別の行商人をして、「朝鮮人は俺らより下じゃ」と言わしめる。被差別部落民の朝鮮人差別に対する二面性、一面では被差別者としての連帯感と、非被差別者がより下位の者を差別するという現実の一面が描かれている。また苦しい行商生活の中にあっても、被差別部落民としての強い絆と暖かさが描かれている点も好ましい。

 なお、映画の公式パンフレット『福田村事件』は、1894年の日清戦争から2019年までの年表と諸事件の解説がなされて、関東大震災における朝鮮人・中国人虐殺の歴史的背景がよくわかる内容となっている。但し既に完売状態で、再入庫の見通しは立っていない。

(2)全国紙5社及びNHKは朝鮮人・中国人虐殺をどのように報道したのか(9/1~3)、またしなかったのか?

「朝日新聞」社説:「関東大震災100年安全な社会になったか」(9/1)

  • 「朝鮮人の武装蜂起や放火、毒殺などの流言も広がった。それを信じた自警団や軍隊、警察の一部による朝鮮人殺傷事件が多発した。朝鮮人に関するデマを載せる新聞もあった。社会主義者が殺傷される事件もあった。千葉県では、香川県からの行商人が朝鮮人と決め付けられ自警団によって殺された。」。

 この他、当日の記事では、流言の実態などが記載されて、他紙と比較すれば、朝鮮人虐殺に関する記事を多く掲載された。だが、流言蜚語の発生源が9月2日の戒厳令の施行と内務省による上記の全国通達にあったこと、朝鮮人・中国人を一挙に大量に殺害したのは実は軍隊であったこと、中国人虐殺については全く言及していないこと、および虐殺された朝鮮人・中国人の人数については指摘していないこと、等が特徴である。

「毎日新聞」社説:「関東大震災100年、災禍の記憶を重い教訓に」(9/1)

  • 「流言のリスクは現在も。決して忘れてはならない負の歴史がある。朝鮮人による暴動や略奪が横行しているとの流言が広まり、虐殺が起きた。国の中央防災会議がまとめた調査報告書によると、犠牲者数は大震災による死者全体の1~数%と推計される。巻き込まれた中国人や日本人もいた。住民らが組織した自警団だけではなく軍や警察も殺害に加わった。政府は当初、暴動を事実として各地に伝え、取りしまりの強化を指示していた。」。

 この社説では、朝鮮人の犠牲者を死者全体の「中央防災会議報告書」に基づき、1~数%としているが、この指摘に従えば、全体の死者数は約10万5000人だから、朝鮮人犠牲者は約1500人~5250人となる。だが、多くの研究者の推計では朝鮮人犠牲者6000人以上、中国人犠牲者は700人以上であるが、同紙は敢えて人数を断定していない。いうまでもなく、その根本原因は政府が犠牲者数を今日に至るまで確定することを回避しているからに他ならない。今年も松野博一官房長官は8月30~31日の記者会見で、「事実を把握することのできる記録が見当たらない」と逃げた。だが、「中央防災会議報告書」によってさえ、東京都公文書館所蔵の資料や司法省作成の資料に朝鮮人殺害の記録が残されていることが明らかにされているのである。

 9月1日社説でも、虐殺の主役があたかも自警団であった如く述べられているが、流言蜚語の拡散の発信元こそ内務省であり、大量虐殺の主犯は政府・軍隊・警察であった。

「毎日新聞」社説:「大震災と朝鮮人虐殺、史実の黙殺は許されない」(9/2)

 これは前日の社説が言葉足らずと感じたのか、再び大震災を取り上げ、特に朝鮮人虐殺に絞って、政府の態度を批判した。その論旨は要約すればつぎのとおりである。政府・東京都は朝鮮人虐殺に正面から取り組もうとしていない。松野官房長官は記録がないと述べ、小池東京都知事は今年も朝鮮人犠牲者の追悼会に追悼文を送らなかった。内務省警保局長の各地方長官に宛てた電文「爆弾を所持し、石油を注ぎて放火する者あり」が防衛省防衛研究所に残っている、等々。結論として「研究者や市民が集めた証言も加え、調査を尽くせば虐殺の実像に近づくことは可能なはずだ。事実の黙殺は歴史への冒涜である」と指摘している。但し、「朝日新聞」、「毎日新聞」の両氏が共に中国人犠牲者には言及していないことが特徴のひとつである。

「日本経済新聞」社説:「第震災100年 首都防災の死角をへらせ」(9/1)

 論説の大半は首都防災の必要性の強調であるが、最後に次のように述べている。

  • 「偽情報を見極める力を、SNS時代だからこそ情報への接し方は極めて重要だ。関東大震災の直後に発行された雑誌『震災画報』は混乱の中で『別の大地震が来る』『首相が暗殺された』など様々なデマが流されたと報じている。とりわけ朝鮮人に関する流言が大量殺戮を招いたことは『軽信誤認の大罪悪』だと強く批判している。最近の震災でも流言が飛び交っている。人工頭脳(AI)で偽画像を簡単に作れる時代である。今後の災害では、さらに手の込んだデマが流れることを前提として備えなければならない。」。

 今日のAI時代、偽情報に備えなければならないことは当然のこととして、本紙も偽情報の発信元が内務省にあったことには素知らぬ顔であること、朝鮮人の虐殺については、他資料の紹介として論じるのみで、自らはその実態には触れようとはしていないのである。

「読売新聞」社説:「関東第震災百年 教訓は現代の都市にも生きる」(9/1)

 東京警視庁官房主事で朝鮮人と社会主義社会主義者の取り締まりを命じた正力松太郎を社長に迎えた(1924年)「読売新聞」は都市改造を主張するに止まった。

「産経新聞」主張:「今できることは今やろう 感震ブレーカー全戸配布を」(9/1)

 このタイトルに、主張の全てが尽くされると言ってよい。

NHKスペッシャル「映像記録 関東大震災 帝都壊滅の三日間」(9/2~3)

 これは、震災当時の9月1~3日に実写されたモノクロ映画フィルムをカラー化したものである。地震発生とともに生じた大規模な火事とその大規模な広がり状況、混乱に陥る人々、朝鮮人が虐殺されるきっかけとなった飛び交うデマ等が克明に写しだされている。もとより、この映像は、今後の30年間で70%の確率で生ずるとされる関東大地震に対する防災政策上は貴重な資料となることは言うまでもない。

 デマの発生と拡散、自警団の活動、朝鮮人の虐殺については、ごく短い時間が割かれたのみである。まず画面に社会学者が登場し、デマの発生と拡散は地震による大衆の極度の不安をその原因とする、と解説する。確かに大衆が極度の不安に陥り暴走したしたことは間違いない。だが、何度も繰り返すが、デマの真の発生源は戒厳令を発した政府と内務省の全国通達にあったが、画面は内務省通達には一切触れていない。画面の解説では警察機能が麻痺し、混乱を収められなかったということであったが、逆に、「朝鮮人を見たら殺してくれ」と云った警官が居たという被災者の証言も示された。保護すると称して多数の朝鮮人を軍隊が連行するとする画面がある。

 しかし、画面の解説にはないが、「保護」とは裏腹に機関銃で多数の朝鮮人を虐殺したのも軍隊であった。罪もない朝鮮人が警官や軍隊に殺されたこともある、という解説もされたが、朝鮮人虐殺数については、後の法廷記録を示し231人という映像も一瞬示されたにすぎず、結論は正確な人数は分からない、ということであった。なお、司法省の記録では、朝鮮人の暴動や井戸に毒を入れた事実は存在しない、という見解も画面では付け加えられた。

 このように、朝鮮人虐殺に関する問題は、すべて断片的でまとまった見解とはなっておらず、この問題に関する真の原因と状況については示されなかった。なお、ここでも中国人虐殺については一言も触れられなかった。

(3)韓国の新聞「ハンギョレ」の日韓政府批判

 韓国の進歩系新聞「ハンギョレ」は、日韓両国政府を厳しく批判し、その社説(9/1)「関東朝鮮人虐殺100年を無視した韓日政府、恥を知るべき」(注1)は、日韓両政府に対して次のように厳しい批判の目を向けている。

  • 「関東大震災時に起きた朝鮮人集団虐殺から100年を迎えるが日が、韓日両政府の冷たい無視の中で過ぎ去った。韓日の市民による真相究明と謝罪を求める声に対し、両国政府は沈黙と無関心で一貫している」

 また日本に対しては、松野博一官房長官は記録が見当たらないとして、事実上虐殺事件を否定している、と非難。続けて、次のように鋭く糾弾した。

  • 「韓国政府と政治家の無関心はさらに嘆かわしい。冷戦時代、韓国政府は在日同胞社会の真相究明の努力に背を向けてきた。今年3月には100人の与党議員が『関東虐殺の真相究明と被害者の名誉回復のための特別法案』を共同で国会に提出しているが、進展はない」、「尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権は日本との『和解』を掲げて韓日の歴史の忘却を強要し、韓米日準軍事同盟」を急ぎ、「100年前に朝鮮人であるという理由のみで殺された数千人を記憶し、二度と悲劇を繰り返さないと誓う韓日の市民に対して恥ずかしくないのか。」。

 一方、尹錫悦大統領は、1974年から毎年おこなわれている都立横網町公園での朝鮮人犠牲者の追悼会に参加した無所属の尹美香(ユン・ミヒャン)議員を「在日本朝鮮人総連合が集会に参加した反国家行為」として攻撃し、与党「国民の力」は同議員に対する懲戒案を国会倫理特別委員会に提出した。

 このような尹大統領と与党の尹議員に対する攻撃は言いがかりに過ぎず、追悼式は日本の「日朝協会」や朝鮮総連などが構成する「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式典実行委員会」が主催するものである。追悼式には韓国からきた「関東逆殺100周忌追悼事業推進委員会」も参加した。「正義記憶連帯」の李娜榮(イ・ナヨン)理事長は「関東虐殺への追悼は朝鮮総連だけではなく、日本の市民の会が主導し、数十年間にわたり行われてきた」とし、「韓国政府が(虐殺)に沈黙したにもかかわらず、韓国と日本の市民たちが連帯し、犠牲者を追悼してきた。行事には関東大震災の遺族も出席していたが、(尹大統領と与党は)全員を国家転覆勢力だと決めつけているわけだ。」(注2)と指摘した。

  (注1)http://japan.hani.co.kr/arti/opinion/47721.html
  (注2)http://japan.hani.co.kr/arti/politics/47748.html

                           (終り)

唯物論的歴史観