新旧2つの人民戦線と社会主義革命 ── フランス共産党の歴史的経験を通して考える ──


大阪唯物論研究会会員 岩本 勲   

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はじめに
 本稿は、フランス共産党の衰退をもたらした同党の固有の原因、およびその背後にあった国際共産主義運動の動向を同時に明らかにすることを通じて、レーニン亡き後、フランスのみならず国際的規模で拡大しているマルクス=レーニン主義の修正主義潮流の端緒を探ることを目指している。この作業は実に困難な作業である。というのも、フランス共産党および国際共産主義運動の歴史には、われわれの窺い知り得ない極めて複雑な事情が存在し、その上、筆者のマルクス主義と国際政治史に対する理解能力も極めて限られたものだからである。
 ロシア革命を成功に導き、コミンテルン(共産主義インターナショナル/Communist International)を創設しその指導に当たったレーニン亡き後の時代は、国際共産主義運動の指導問題が、また同時に国際情勢が、著しく複雑な様相を示した。1930年代以後の世界情勢を瞥見すれば次のとおりである。
 誕生したばかりのソ連社会主義は第一次5カ年計画(1928~32年)を成功裏になし遂げ、その目覚ましい発展は世界の共産主義者や社会主義者たちに大きな誇りと希望を抱かせた。
 一方、1929年に始まる世界恐慌のなかで帝国主義世界では、政治経済情勢は大きく変わり始めていた。イタリアではこれより一足先にムッソリーニのファシスト政権が成立し(1922年)、エチオピア侵略を開始した(1935年)。日本帝国主義は柳条湖事件(1931年)をきっかけに本格的な中国侵略を開始し、ドイツではヒトラーのナチズム政権が成立したのである(1933年)。
 ファシズムはフランス、スペインなどにも波及した。これに対抗して、コミンテルンの基本方針は混乱した。コミンテルンはレーニンの「労働者統一論」から「階級対階級論」(第5回大会、1924年)に転換したが、その後、第7回大会(1935年)では「人民戦線」戦術に大きく舵をきり直した。その中で1936年には、スペインでは左翼共和党、社会党、共産党等による人民戦線政府が成立し、フランスでは共産党、社会党、急進社会党による人民戦線が成立した。チリでも人民戦線が結成された。
 だが、フランス人民戦線の敗北(1937年)およびフランコ将軍の反乱と独伊ファシズムのそれへの加担によるスペイン人民戦線政府の敗北(1939年)の後、ドイツのポーランド侵略に始まる第二次世界大戦が開始された(1939年9月)。第一次世界大戦がドイツ帝国主義とオーストリー・ハンガリー帝国主義とイタリア帝国主義(三国同盟)に対する英・仏・露帝国主義(3国協商)との帝国主義間の戦争であった。
 これに対して、第二次世界大戦は、仏・英帝国主義とドイツファシズムとの帝国主義戦争を端緒としたが、独ソ戦(1941年6月)を契機として、結果的には英・米・仏帝国主義とソ連社会主義との一時的軍事同盟である連合国とこれに敵対する日・独・伊のファシズム帝国主義との戦争となった。
 一方、「共産主義インターナショナル執行委員会幹部会」は1943年5月、各国共産党が成長した結果、コミンテルンの国際的な統一方針と組織形態が必ずしも実情に適合せず、コミンテルンの寿命が尽きたことを理由として、解散を決定した。このコミンテルンの解散については不明な点が幾つかあり、筆者は解散の妥当性についての判断を留保している。ただ、何らの共産主義国際組織も創らずして解散したことは、明らかに誤りであったと考えている。
 1945年、連合国は勝利したが、大戦をめぐって形成された複雑な国際関係は後に詳述するごとく、戦後の共産主義理論と運動に重要かつ深刻な影響を与えた。レーニン以後、国際共産主義運動の基本原則は「帝国主義戦争を内乱へ」であった。しかし、第二次大戦後はソ連と国際共産主義はこれとは別の道を進むこととなった。
 大戦後、英米仏帝国主義と共に頑強に戦ったソ連社会主義の輝かしい勝利と反ファシズム・レジスタンスを果敢に戦いぬいたフランス共産党とは、諸国民の強い共感を呼び起こした。フランスでは1944年のドゴール臨時政府(アルジェリアで結成された「フランス国民解放委員会」)には2名の共産党員が入閣し、共産党は戦争直後の1945年の総選挙では第1党に踊り出た。ソ連から帰国したトレーズ書記長と他4名がドゴール政府に入閣した。これまでのコミンテルンの方針とは異なって、ブルジョア政府に共産党が参加する新しい時代が始まったのである。
 それはフランスだけではなく、イタリアでも同様の現象が生じた。イタリア共産党も国内ではパルチザン闘争によってファシズムと果敢に戦った。1943年7月、イタリアで反ムッソリーニのクーデタが発生した。連合国軍のシチリア島上陸を受けて、イタリアの支配階級は徹底抗戦派のムッソリーニに見切りを付け、連合国との講和に乗り出したのである。ムッソリーニは逮捕・監禁され、バトリオ元帥を首班とするバドリオ政権が誕生した。イタリア中北部に進駐していたドイツ軍は9月、ムッソリーニ救出作戦を成功させ、イタリア中北部を支配地域とする「イタリア社会共和国」を建国させた。だが同国は、事実上ドイツの傀儡政権であった。以後イタリアは2年近くにわたる内戦状態に入る。それは同時にナチス・ドイツからイタリアを解放する戦いでもあった。
 イタリア王国で新たに成立したピエトロ・バドリオ政権の下、ソ連から帰国したトリアッティ共産党書記長は副首相に就任する。2年にわたる内戦・解放戦争で、共産党はその組織力と勇敢さを発揮し、人民内部での支持を急速に拡大する。1945年4月、傀儡国家イタリア社会共和国は崩壊し、ムッソリーニはドイツへの逃避行中に逮捕され処刑される。翌月にはナチス・ドイツが降伏する。
 トリアッティは、戦後直ぐの1945年12月に成立したアルチーデ・デ・ガスペリ(キリスト教民主党)を首班とする政権に法務大臣として入閣した。彼の指導の下でいわゆる「サレルノの転換」が始まった。その基本的主張は、暴力革命を否定し議会制民主主義の下で社会主義社会を実現するというものであった。
 これらのフランス、イタリア両共産党の方針転換は、あたかも1960年代末に始まる「ユーロ・コムニズム」を予告するがごとくであった。
 フランス、イタリア両共産党は、以上のような根本的な方針転換を出発点として、時々の盛衰はあったが、イタリア共産党は1980年代末まで、フランス共産党は1980年前半までその勢力を誇った。しかし、イタリア共産党は東欧社会主義諸国・ソ連の崩壊(1990~91年)と時を同じくして突然崩壊した。フランス共産党は1980年代後半からジリ貧となり、2000年代には国民議会選挙や大統領選挙での得票率は5%を切るに至り、今日では極少政党に没落したのである(後掲第10章第5節「付表」参照)。

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2024年東京都知事選の結果について


大阪唯物論研究会会員  川 下 了

■東京都知事選の結果は、深い省察を求めている

7月7日行われた東京都知事選の結果は、平和と民主主義を志向する人々にとって苦いものとなった。もっともそれは、自公政権およびそれを支える人々にとっても、心穏やかでないものであった。

今年に入ってから、地方自治体の首長選や参議院補選において与党系候補の連敗が続く中、立憲民主党、共産党、社民党と市民運動の協働によって蓮舫氏を擁立した人々は、時の勢いに乗って都政を奪取し、自公政権打倒への展望を切り開こうとした。

しかし蓮舫氏の得票は126万票に止まり、小池氏の291万票に遠く及ばなかっただけでなく、ほぼ無名に近かった広島県安芸高田市の前市長石丸氏に38万票近い差を付けられて3位に沈んでしまった。何故こういう結果になったのか。

立憲の岡田幹事長は選挙2日後の記者会見で、敗因については「まだ集約できていないが、個人的には、小池氏との争点をはっきりさせられなかったこと、無党派層を取り込めなかったこと」と述べた。また日本共産党は選挙翌日に東京都常任委員会の声明を発表し、「蓮舫候補は、大健闘しましたが及びませんでした。」「幅広い市民と野党が、みんなでたたかうことができました。」「都政の転換、政治の革新をすすめるにあたって、今後につながるたたかいでした。」との見解を表明した。両党の見解は、起きた現実との間の大きなギャップがある。まずはこのギャップを埋めること、現実に起きたことに正面から向き合い、深く省察することが求められている。

政界における現在の中心的関心事は、自民党の総裁選と野党共闘の在り方である。しかし平和と民主主義を志向する人々は、都知事選の結果を深く省察することから始めるべきである。

都知事選の結果は、国政与党とその支持者たちにとっても心おだやかでないものとなった。自民党は小池氏を支持することによって、表向きは敗北を回避することができたが、9選挙区の都議補選で2名しか当選させられなかったこともあって、都知事選を含めて内実は敗北であった。さらに石丸氏の「予想外の大量得票」に、今や最大の有権者集団となった無党派層が自分たちのコントロール下にはないことを思い知らされ、恐怖すら覚えたのに違いない。

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《研究資料》ハマースとパレスチナを知るために

 

編者:大阪唯物論研究会会員 兵庫正雄・川下 了

 

 

【Ⅰ】前書き
 昨年10月7日、パレスチナのガザ地区に拠点を置くイスラーム抵抗運動(通称ハマース〔Hamas〕)を中心とする政治諸組織(パレスチナ解放人民戦線〔PFLP〕、パレスチナ解放民主戦線〔DFLP〕、パレスチナ・イスラム聖戦〔PIJ〕、など)の軍事部門が、厳重なガザ隔離壁を突破してイスラエル占領地に対する攻撃をしかけました。この「アル・アクサ洪水作戦」と名付けられた反占領闘争は、第2次世界大戦後ほぼ80年近くに及ぶイスラエルの植民地支配に対するパレスチナ人民の「洪水のような」迸(ホトバシ)る怒りの爆発でした。

 これに対してイスラエルは、陸・海・空から一斉にガザ地区に侵攻し、軍事部門と民間部門を区別することなく、一般市民の住宅はもちろん、病院や学校を始めとする公共施設をことごとく破壊する焦土作戦を展開し、半年後の今日に至っています。この「鉄の剣作戦」と名付けられたイスラエルの軍事行動は、文字通りパレスチナ人民に対する大量殺戮行為(ジェノサイド)であり、3月末現在で既に3万3千人を超えるパレスチナ人民が殺され(行方不明者は含まず)、7万6千人以上が傷付いています。

 一刻も早い停戦とパレスチナの独立(占領の終結)をもたらすための永続的停戦への移行が求められています。そのために、私たちは出来る限りのことをしなければならないし、世界世論はイスラエルとそれを支援する諸国の政府に対する圧力を強めなければなりません。

 「世論など何の力にもならない!」「結局は強い者が勝つ!」といった俗論が未だに一定の影響力を持っていますが、これには支配者側の世論誘導が大きく影響しています。現代社会においては、世論を無視して政治を行える国はそう多くはありません。実際、イスラエルのジェノサイドに対する抗議の声が欧米で高まるにつれて、欧州諸国政府のイスラエル支持のトーンはダウンし、米国政府ですら3月25日の「ガザ停戦国連安保理決議」に拒否権を行使できませんでした。日本政府も、一時停止していた国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)への拠出金を再開しました。

 現代世界では、世論操作が極めて重要な政治活動の一部門になっています。その際、勤労人民が正しい情報を受取って正しい判断をすることを阻むための諸手段が様々に開発されています。国家間の争いにおいても、自国の世論を政府支持に、他国の世論を反政府的に誘導するための情報戦が熾烈に展開されています。パレスチナ問題で日本や欧米諸国の支配階級が用いている方法の一つは、イスラエルの蛮行をなるべく穏便な行動に、あるいはやむを得ないものとして報道する一方で、パレスチナ側の行動は極めて非人道的であるかのように報道することです。また中立的立場を装って、イスラエルもパレスチナも「どちらもどっち」だと報道し、「パレスチナ問題は難しい。」と思い込ませて、勤労人民に判断を放棄させる方法も盛んに用いられています。

 最初の方法の典型的な例は、ハマースに「イスラーム過激派」というレッテルを貼付け、テロリスト集団に仕立て上げる手口です。ハマースは、選挙によってパレスチナ議会での多数を獲得し、ガザ地区での行政権を掌握しているパレスチナの政党であり、決して「テロリスト」集団ではありません。ハマースだけではありません。イスラエルの占領政策に抵抗する者はすべて「テロリスト」のレッテルを貼られて殺害されたり逮捕されたりしています。政府の見解表明や多くのマスメディアの報道は、10月7日の「アル・アクサ洪水作戦」でパレスチナ側がイスラエルの入植者(占領者)約240人を人質にしたとして激しく非難する一方で、イスラエルが8千人を超えるパレスチナ人民を拉致して監獄に収容(人質に)していることには言及しません。

 イスラエルがシリアにあるイラン総領事館を爆撃してイランの武官ら16名を殺害したことは黙認する一方で、イランが報復攻撃をするや否や声高に非難します。一部のマスメディアは、「イラン総領事館」と書かずに「イランの建物」と表記する気遣いすら示しました。

 第2の方法の典型的な例は、事態を相対化する手口です。「パレスチナ問題は、ユダヤ教とイスラーム教という宗教対立という根深い問題が絡んでいて解決が容易でない。」とか、「憎しみの連鎖を断ち切るのは難しい。」といった情報を浸透させます。そして人々に「パレスチナ問題は難しい。」と思い込ませて世論を無関心に誘導するのです。

 しかしパレスチナ問題の核心は、宗教問題でも「憎しみの連鎖」でもありません。パレスチナ人民が歴史的に代々暮らしてきたパレスチナの地に、第2次世界大戦後に米英の支援を受けたユダヤ人たちが本格的に占領・入植を開始し、4次の戦争を通して次々にパレスチナ人民の土地を強奪して占領地を拡大してきたことに対して、パレスチナ人民が占領・植民地政策を終わらせ、土地と独立を回復するために闘っているのです。これがパレスチナ問題の核心であり本質です。

 イスラエルを支援する帝国主義諸国の支配層とその傘下にあるマスメディアは、この占領・植民地問題に言及することを徹底して回避しています。だからパレスチナに関する報道は、常にパレスチナの抵抗運動の爆発であった「アル・アクサ洪水作戦」から始まるのです。それに先立つ80年間の占領・植民地政策は意図的に覆い隠されているのです。

 今、イスラエルのジェノサイドを批判して、ジェノサイドを即刻止めることを求める運動は、大きく2つの部分から成立っています。1つは「アル・アクサ洪水作戦」をパレスチナ人民の反占領・独立闘争として支持する立場に立つ人々、もう一つは「アル・アクサ洪水作戦」は支持できないが、イスラエルの「報復」攻撃はジェノサイドであり容認できないとする立場に立つ人々です。

 現段階では、この2つのグループは手を繋いでジェノサイドを一刻も早く止めさせる闘いを盛り上げなければなりません。但しそれが実現した後には、「パレスチナ問題を根本的に解決するためにはどうするべきか?」という問題が生じます。そこでは、「オスロ合意」なるものの評価が問題となります。「アル・アクサ洪水作戦」は、「オスロ合意」の拒絶宣言でもあったのです。従って、「アル・アクサ洪水作戦」は支持できないが、イスラエルのジェノサイドには反対するという立場では、パレスチナ問題の解決にまでは至らないことになります。繰り返しますが、「パレスチナ人民の土地を強奪し、パレスチナ人民を追放して占領地を拡大してきたイスラエルの占領・植民地政策がパレスチナ問題の核心であり本質である」のだから、この本質的問題の解決なしには、パレスチナ人民は地獄の苦しみから解放されないし、パレスチナの地に安定的平和は訪れません。このことの認識を広めることが、前進のための必須要件となっています。

 そのためには、「アル・アクサ洪水作戦を主導したハマースとは何か?」、「彼らは何を求めているのか?」ということを広く知らせることが必要です。まずはハマース自身が語る「10月7日の攻撃『アル・アクサ洪水作戦』についてのハマースの声明」をできるだけ多くの人に読んでもらいましょう。続いて、「ハマース憲章(2017)」を読んでもらいましょう。そうすれば、ハマースが「テロリスト集団」でも「イスラーム過激派」でもないことを理解してもらうのを大いに助けることになるでしょう。また、「アル・アクサ洪水作戦」の目的と実際、そしてその正当性を理解してもらうのを容易にしてくれるでしょう。そしてそのことは、多くの人々にパレスチナについての正しい情報に接し、正しい判断をしてもらう大きなきっかけとなるに違いありません。

 この2つの文書の日本語訳は未だ広く出回っていないばかりか、その入手が必ずしも容易でないため、自らの能力不足は重々承知の上で2つの文書の英語版からの訳出を試み、資料集として作成しまた。そして、それに「ギリシャ共産党(KKE)のハマース及びパレスチナ問題に関する見解」の一文を付け加えました。この文書の日本語訳は、新聞「思想運動」(2024年1月1日号)に掲載されていますが、改めて訳出したものを掲載します。

 このKKEの一文を付け加えたのは、「共産主義者の民族解放運動に対する態度」について論じた文書だからです。このKKEの文書について、一部で、「KKEはハマースとパレスチナ人民を意図的区別して対立させている」とか、「KKEは米帝を戦略敵とすることに反対している」といった疑問が投げ掛けられていますが、それは誤解に基づくものではないかと思われます。KKEのこの文書は、民族・植民地問題としてのパレスチナ問題をどう理解するべきか、という理論的問題を扱った文書です。

 百年という長い歴史的期間を挟んでいるとはいえ、コミンテルン第2回大会の「民族・植民地問題についてのテーゼ(命題)」とこの問題を扱った小委員会のレーニンの発言及びM.N.ロイによるテーゼの補足説明は、共産主義者にとってその思考の基礎におかれるべき諸原則を示しています。その諸原則の主要なものを挙げるとすれば、以下のようになります。
①  先進資本主義諸国の労働者階級は、植民地の被抑圧民族の解放のために闘うことなしに自己を解放することはできない。
②  民族独立運動をブルジョア民主主義運動として把握するのではなく、民族解放闘争として把握すること。
③  民族解放闘争を支援する際、当該する植民地の経済発展段階を具体的に把握すること、それによって民族解放闘争における民族ブルジョアジーの役割を規定すること。
④  共産主義者インターナショナルは、植民地や後進国の革命運動と一時的に提携し、また同盟をさえ結ばなければならないが、しかしそれと融合してはならない。

 KKEの文書は、これらの諸原則をパレスチナ問題に適用しようとしたものです。即ち、共産主義者はパレスチナの民族解放運動に対して如何なる態度を取るべきかという問題を立て、それに対する自己の見解を率直に述べたものです。KKEの文書が、上記のコミンテルン第2回大会のテーゼが示した諸原則をどの程度正しく適用出来たか、また出来なかったかは、読者諸氏がKKE文書を読んで判断して頂くことにします。ただ編集者たちが言えることは、ハマースは、その「2017年憲章」の第1章で、「『ハマース』はパレスチナ人のイスラーム民族解放・抵抗運動である。その基準の枠組みはイスラーム教であり、イスラーム教がその原理、目的、手段を決定する」と自らを規定しています。従って、共産主義者はハマースと一体化することは出来ず、またすべきではなく、パレスチナ人民を独自に組織する義務があります。そしてKKEがパレスチナの共産主義者との連帯に最大の関心を置き、共産主義者を受け入れているパレスチナ解放人民戦線(PFLP)との関係を密にしていること、その上でパレスチナ人民の多数の支持を得ているハマースの闘争を支持すると表明していることは、正しいと考えていることを記しておきます。

 最後に、読者諸氏がこの資料を熟読頂き、パレスチナ問題についての認識を深め、パレスチナ人民の解放運動を支援する運動の一助に是非して頂きたいという希望を述べて、資料の前書きを終えたいと思います。なお、別紙の岩本勲氏の論考「パレスチナ問題、誰が国際法を犯し続けたのか」を併せてお読み下さるようご案内申し上げます。(2024.4.20)

 表紙を飾っている写真のハマ-スの武装組織の名称は、1930年代にパレスチナにおけるジハード闘争の支柱となった宗教家イッズディーン・アル=カッサームにちなんだものです。

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パレスチナ問題、誰が国際法を犯し続けたのか

大阪唯物論研究会会員 岩本 勲

イスラエルは即刻ジェノサイドを止めよ!
 昨年10月7日のハマースの反撃以来、半年を経た今日、イスラエルの攻撃によるガザの死者数は33,000人以上、負傷者は75,000人以上、ガザの人口の75%に相当する170万人以上がその家を追われ、医療施設の84%が破壊され、しかもガザ住民全体の飢餓地獄が刻々と迫っている。
 だがイスラエルは、国連安全保障理事会の初めての停戦決議(3月25日、賛成14カ国、アメリカ棄権)にも拘わらず、さらにラファ侵攻を目指している。まさに、イスラエルの攻撃はパレスチナ民族の絶滅を狙うジェノサイド以外の何ものでもあり得ない。何としても、即刻この暴挙を止めさせなければならない。
 イスラエルでも漸く今月6日、中部のテルアビブで4万5千人の政府抗議デモをはじめ、全土でイスラエル人の人質解放要求とネタニヤフの退陣を求める抗議デモがおこった。支配階級内部でも割れが顕在化し始め、世論調査では支持率でネタニヤフ首相を上回るベニー・ガンツ前国防相がこのほど、ネタニヤフ退陣をめざして「われわれは総選挙の日程を決める必要がある」とテレビ演説で述べた。彼はまた3月にアメリカを訪問し、ハリス副大統領や政権の高官らが彼との会談に応じた(「日本経済新聞」4/8)。
アメリカでも、3月のギャラップ世論調査によれば、イスラエルへの軍事行動の支持は、昨年11月には50%であったものが36%に下落、反対は10ポイント上昇し55%となった。民主党の支持層に限れば、支持派18%、反対派は75%に達した(「時事通信」4/7)。このような変化が、国連安保理におけるアメリカの棄権にも結び付いているのでもある。

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《新刊紹介》『パレスチナ解放闘争史 1916ー2024』

大阪唯物論研究会会員 倉島伝治

 

 

パレスチナ解放闘争史 1916-2024
重信房子 作品社 482頁
2024年3月25日 発行 ¥3,960円

 

 重信房子氏は、元「日本赤軍」の幹部であり、その後「連合赤軍」を結成した森恒夫氏らと袂を分かち、1971年にパレスチナに渡ってパレスチナ解放民族戦線(PFLP)に加わった。「テルアビブ空港乱射事件」などに関わり、20数年に渡ってパレスチナの地を中心に反イスラエル闘争に携わった。その彼女は1991年頃に密かに帰国して日本での活動を開始したが、2001年大阪で逮捕され、いわゆる「ハーグ事件」への関与をめぐり、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などでの共謀共同正犯で起訴された。そして2010年8月の最高裁判決によって懲役20年の刑が確定した。彼女は2022年5月、刑期満了によって出獄し、今日に至っている。

 重信氏の思想と政治行動について、ここで論じるつもりはない。ただ、20数年に亘ってパレスチナの地に身を置いて、パレスチナ人民と行動を共にした日本人活動家が、パレスチナ問題をどのように見ているかということに興味を持った次第である。

 2023年10月7日のアル・アクサ洪水作戦は、ハマース・ファタハ・PFLP・イスラーム聖戦機構の共同作戦であった。そのような共同作戦が何故可能であったのかという関心から、重信氏の「パレスチナ解放闘争史」を経年的に辿ってみた。

 

2005年3月 カイロ宣言:パレスチナ13組織(ファタハ・ハマース・PFLP・イスラーム聖戦機構等)のすべてが、パレスチナの唯一合法的代表であるPLОに結集し発展させることに合意し、そのための委員会設置を「カイロ宣言」として確認した。その中でパレスチナの統一のため、内部対立に武器を使用することを禁止し、対話によって解決することを示した。ハマースとイスラーム聖戦機構は、イスラエルの攻撃があれば対抗することを条件に合意した。

2006年1月 ハマースが選挙で勝利:パレスチナ立法評議会選挙でハマースが勝利し、アッバース大統領はハマースに組閣要請。しかし米・イスラエルの強力な巻き返しで、ハマースとファタハの対立・戦闘が再開・継続。

2007年3月 マッカ合意:その内容は、①これまでPLОが調印した国際協定の尊重、②パレスチナ立法評議会で採択されたガザ・西岸地区を領土とするパレ.チナ国家樹立の承認。マッカ合意を踏まえて、ハマースとファタハによる民族統一挙国一致内閣の成立。

 その時も、米・イスラエルの働きかけでファタハのハマース攻撃は継続し、6月にアッバース大統領は挙国一致内閣の解散を宣言して新政府を組織した。従ってパレスチナ自治政府が二つ存在することになった。

2009年3月 民族対話:その内容は、①対立の解消、②統一政府の樹立、③PLОへのハマースの加盟問題、④治安問題、⑤選挙。パレスチナの13組織が、「カイロ宣言」を踏襲して民族対話を開始した。この中でアッバース大統領は、「二国家解決案」による解決、オスロ合意と和平プロセスで合意された他の合意事項を全て承認しなければならないと表明し、対話は進展しなかった。

2011年4月 無党派市民デモ:アラブの春に触発された無党派市民デモの出現に押され、ファタハとハマースが暫定的に挙国一致内閣で合意。

2014年 ハマースの支持拡大:イスラエル軍のガザ侵略戦争後、パレスチナ人の間で不屈に戦ったハマース支持が拡大した。

2018年3月 帰還のための大行進:ハマース・PFLP等の在ガザの解放勢力が、一つの民族統一組織を立ち上げ、「帰還のための大行進」が開始された。アッバース自治政府は、ハマースに対する武装解除を含む締め付けを強化。

2018年11月 ロケット弾攻撃:在ガザのパレスチナ諸組織(ハマース・PFLP等)は、イスラエルに対するロケット弾による攻撃を開始した。

2019年1月 またもや分裂策動:アッバースは、パレスチナ自治政府のハムダッラー首相(これまで統一努力を主導してきた)を解任し、ハマースを排除したパレスチナ自治政府を組閣した。

 

 経過は以上であるが、重信氏は最後に、「この帰還の大行進のパレスチナ勢力の統一した組織は、「アル・アクサ洪水作戦」を担う主体として登場してくる。」で締めくくっており、ファタハを含んだ軍事行動にまで発展した経過には触れられていない。

 PFLPの「オスロ合意」に対する見解は、「『二国家解決がパレスチナ人民のための、またはパレスチナの大義のための最終ゴール』とは認めない。我々の戦略ゴールは、全パレスチナの解放にある。67年のすべての被占領地に、エルサレムを首都とするパレスチナ独立国家を建設することに同意している。それは全土解放の戦略目標に向かうためだ。二国家解決を最終目標とすることは認めていない。オスロ合意に賛成していない。さらにオスロ合意に基づいた和平プロセス・ロードマップを認めていない。」としている。

 ハマースとPFLPの「最終目標」の違いについての検討が必要と思われる。

 

2024年4月1日

 

唯物論的歴史観

日本共産党第29回大会の決議について

大阪唯物論研究会会員  川 下  了 

【はじめに】
 1月15日から18日の4日間、日本共産党が4年ぶりに党大会を開催しました。党員数が公称25万人である日本共産党は、発達した資本主義国において共産主義政党を名乗る諸党の中では、最も大きい党の一つに数えられます。

 先進資本主義諸国の共産党は、ソ連と社会主義世界体制の崩壊によってその影響力を急速に失い、国政選挙には単独で候補者を出せなくなった党も少なくありません。その中にあって、ギリシャ共産党やポルトガル共産党と並んで、日本共産党はその影響力を比較的保持している党に数えることができます。
 
 その党が4年ぶりに大会を開いたのですから、その大会決議の内容を検討することは、共産主義運動に関心を持つ者だけでなく、広く民主主義運動に関わっている者にとって、欠くことのできない作業だと言えます。

 共産党の大会決議を検討する際には、2つの異なる基準が必要になります。同党が『共産党』を名乗っている以上、共産主義(マルクス・レーニン主義)を基準とする評価が一つです。もう一つは、同党が実態としては社会民主主義政党になっているので、そのようなものとして日本の人民運動において果たしている、また果たすだろう役割について検討する場合の民主主義を基準とするものです。
 マルクス・レーニン主義を基準として今回の大会決議を読むと、「随分遠くに来たもんだ。」と思わずにはおれません。マルクス主義とは縁もゆかりもない所まで来てしまったというのが最初の印象です。また国内政治的には、社民党より右の所にまで来たと言えるでしょう。

 しかし日本共産党は、社民主義政党としては少なからぬ影響力をもっていて、領土要求に見られる民族主義やウクライナを支援するなどの否定的側面を持ちつつも、一般民主主義運動においては全体として肯定的役割を果しています。従って同党に対する評価は先に述べたように、一般民主主義運動の観点と、共産主義運動の観点とを明確に区別して行う必要があります。本論はこの観点に立って、同党の第29回大会決議(以下『決議』)を検討します。

 ところで、共産主義運動の観点から見た同党の逸脱は、同党固有のものと国際共産主義運動にも共通に見られるものとがあり、後者については自分たち自身の未解決問題として向き合う必要があることを付け加えておきます。その意味で、『決議』の真の批判は、先進資本主義国における社会主義革命の展望を明確にした綱領を持つ、共産主義政党を再建することによってのみ可能となります。

 決議は、第1章「国際情勢と対外政策」、第2章「国内情勢と国内政策」、第3章「党建設」、第4章「理論と思想」、第5章「党史と未来展望」という5つの章立てになっています。

 過去40年近く党勢の後退が続き、党員の高齢化が深刻な状態にあり、一昨年(2022年)末から昨年年明けに起こった「松竹・鈴木」問題による党内の動揺が広がった中で開かれた第29回大会の『決議』は、「松竹・鈴木」問題を基本的にはスルーしています。即ち、「松竹・鈴木」問題が提起した民主集中制の問題点について真剣に検討することなく、形式的な「弁明」を行うに止まっています。さらに大会で「除名」に疑義を呈した代議員に対して、新委員長に就任する田村智子氏が、「発言者の姿勢に根本的な問題がある」「誠実さを欠く」との人格攻撃を加えたことは、同党の「民主集中制」の理解が如何なるものであるかを露呈させ、反動諸勢力を喜ばせることになりました。

 このようなやり方は、中央指導部や常任活動家の間では通用するかもしれませんが、一般党員や党外のリベラル派や民主派の理解を得ることはできません。

 民主集中制の問題は、「長すぎる志位体制」への批判の形をとって、委員長直接選挙制要求の形で表出されました。これに対して同党は、党の看板である志位委員長体制から田村新委員長体制に移行することでイメージチェンジを図り、これらの批判に応えようとしました。女性党首ということで一定の効果は「期待」できるでしょう。しかし裏看板は常任幹部会であり、志位氏はここに残って引き続き表看板を制御することになるでしょうから、路線上は大きな変化は起こらないでしょう。それでも一定期間が経過すれば、やはり表看板が裏看板にもなって行くでしょうし、やがては党名の変更も含めて名実揃った社民政党になる可能性が大だと思われます。

 「長すぎる指導部」に対する批判へのもう一つの対応は、「世代継承の取組みの意識化」であり、「党の未来を築く道はここにしかない」と第3章「党建設」で述べているように、青年・学生層への働き掛けの決定的強化と「真ん中世代(30代~50代)」の党員倍増計画です。この部分は、『決議』が『決議案』から大幅に加筆修正された部分でもあります。『決議』は、次回大会(2028年)までの組織目標として、27万人の党員、130万部の『赤旗』読者を掲げています。そして前大会以降一定の成果が上がっているとして、「民青同盟が2019年からの『倍化』を達成」したと記しています。しかし何が『倍化』したのかは明確にされていません。同盟員数が『倍加』したのではないようです。今後の取組みとして、あれやこれやの技術的問題が列挙されていますが、これで世代継承が進むとは思われません。もっとも世代継承の困難さは日本共産党に限ったものでなく、国際共産主義運動においても然りであり、左翼勢力やリベラル勢力全体が直面している問題でもあります。

 『議案』は、同党が抱える諸問題に正面から向き合うことを避け、従来路線の継承を決めました。以下簡単に、その『決議』の各章を見ていくことにします。なお引用文中で筆者が注意を特に促したい部分は、太文字にしています。

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《新刊紹介》『未明の砦』

大阪唯物論研究会会員 倉島伝治

『未明の砦』
太田 愛  角川書店  609頁
2023年7月31日 刊行  ¥2860
1月26日、第26回大藪春彦賞受賞作品。
 
 少し古くなるが、ぜひ勧めたい書の1冊である。陸奥新報など11の地方紙に2021年4月から2023年6月に掲載された。
 
 グローバル自動車企業(作品の「ユシマ」で想定されているのは「トヨタ」)のとある工場での1人の本工の過労死をきっかけに、4人の非正規労働者が、ユニオンの助けを借りて組合を結成し、本工を含むストライキを実現するまでを描いている。
 
その中で
  • グローバル企業と政権との関係
  • 政権と警察との関係
  • 警察の組合つぶしの手段としての「共謀罪」
  • 本工と非正規労働者との関係
  • 本工・非正規労働者を問わない過酷な労働条件と過労死
  • 本工の人事・労務管理・賃金制度
  • 非正規労働者に対する「5年ルール」の骨抜き適用
等々の問題が盛り込まれている。
 
 最終的に本工まで含むストライキ突入まで進むのは現実ばなれしていると思うが、作者の非正規労働者に対する応援歌として受け取るならば、それもありかといえる。
 
 作品には四人を取り巻く大勢の人が登場するが、警察や企業経営者側の内部にそれぞれの方針に疑問・違和感を抱く人物が存在することまでは想定できなくはないが、具体的な行動まで進むことが描かれているが、現実にはありえない。
 
 作品を離れて現実の「トヨタ」関連では、
  • UAWのストライキの結果として、組合の無い米国トヨタ工場で9%の賃上げ。
  • 2月1日から国内の完成車工場の稼働時間の上限を30分短縮を公表。従業員の負担を減らす狙いがあるとしており,グループ内(ダイハツ工業・豊田自動織機)で相次いだ認証不正も背景にあると見られる。豊田章男会長は、「会社を作り直すぐらいの覚悟」でグループ全体の変革に乗り出す考えを示していた。(2月3日 朝日新聞・朝刊)
があり、本工組合より経営者サイドが危機感を持っているが、これが最大限の変革か。社長ではなくて会長がコメントしていることを見ても、基本的には何も変わっていない。
 
 警察の組合つぶし関連では、
  • 大津地裁判決 関西生コン支部7人に無罪 ビラ配布共謀認めず。恐喝未遂や威力業務妨害の罪に問われた関西生コン支部組合員2人を有罪とし、ビラ配りをした7人に「共謀は認められない」として無罪を言い渡した。(2月7日 朝日新聞・朝刊)
 「共謀」が認められなかったことに重点のある報道であるが、正当な組合活動に「恐喝未遂」や「威力業務妨害」が適用され有罪となった事の方がより重要である。
 
 最後に、作品巻末の参考文献は量も豊富で重要。