大阪唯物論研究会会員 倉島伝治
荻野富士夫 著
平凡社新書
502頁
2024年12月13日 刊
¥1,980円
本書は、先日、本ブログで紹介した、著者自身の労作「治安維持法の歴史」シリーズ(全六巻)を基調として、それを要約したものである。
著者の意図は序章で次のように述べられている。
1.治安維持違法が「どうして、どのようにして、つくられたか。どんな法律として力をふるって、人民を苦しめたか」についてできるだけ具体的に明らかにすることをめざしている。
2.治安維持法がどのように運用されたのか、その司法処分の各段階、つまり警察・検察・裁判・行刑・保護観察・予防拘禁をめぐる諸相を追う。違法な捜査・拷問や詐術を駆使した各段階の取調を検証する。
3.とくに治安維持法の拡張解釈が顕著になった1930年代後半以降の具体的な事件に焦点をあて、それぞれの犯罪化のためのフレーム・アップの経緯と共に、戦時体制のなかで自由や平等を求めてギリギリの抵抗がなされたことを明らかにする。また、暴走する治安維持法に公判の場で立ち向かった弁護士の弁論にも注目する。
4.植民地朝鮮・台湾、傀儡国家「満洲国」においても治安維持法が運用され、日本国内以上の「法の暴力」が吹き荒れた。日本国内と朝鮮・台湾・「満洲国」を含めることによってこそ、治安維持法の悪法性の本質に迫りうると考えた。これまで朝鮮を除いて、台湾と「満洲国」について治安維持法とのかかわりはほとんど論じられていなかった。
5.治安維持法の悪法性を考えることは、私にとっては「悪法は法にあらず」という観点を貫くことにほかならない。
本書は、新書版としては部厚い(502頁)が、2021年から2023年にかけて六花出版から刊行した「治安維持法の歴史」シリーズ(全六巻)を基調とし、要約した内容となっている。できればこのシリーズ(全六巻)を通読して頂きたいが、治安維持法施行100年・敗戦80年に当たる今年(2025年)、また世界的に極右勢力の伸張が著しい今日、天皇制ファシズム下の共産主義運動・人民運動の歴史を振り返る意味は大いにあると思われるので、少なくともこの一冊はぜひとも一読して欲しい。